第一章

オリジナル連載小説。

Eternal Fate。


その神殿はいつ訪れてもアッシュを迎え入れてくれた。


 アッシュは森の案内人を務めている。だが、そんな肩書きも、彼にとってはこのユティール神殿へ来やすくするためのものに過ぎなかった。実際に森の中を巡回していても道に迷った者を見かけたことはなかったし、村にいても彼に道案内を頼む者は殆どいなかった。こじんまりとした質素な村の住民にとって森は庭のようなものだったのである。まして、小さな名も無き村を訪ねてくるような物好きなどがいる訳もなく、仕事は殆ど有って無いような状態だった。

 ユティール神殿は金色の艶を持つ煉瓦で建てられていた。アッシュは陽に輝くこの神殿が好きだった。中に入ると白い花崗岩で出来た空間が広がり、部屋の中心を通るように入り口から奥の祭壇までえんじ色の絨毯が続いている。祭壇にひざまづき、手を合わせて祈りを捧げる瞬間は何とも言えない安堵感を彼に与えた。神殿の奥には開かずの扉があり、この扉を見るたびに好奇心をそそられた。何度か開けようと挑戦したものの決して開けることはできなかった。

 アッシュはこの奥へ行かなければならないという義務感を感じていた、その理由も知らないで。


 この神殿にアッシュが初めて訪れたのは、今から九年前、彼が十歳の時だった。

 十歳になると、村の子供達は森に入ることを許されるようになる。その誕生日の日、アッシュは朝早く森の中に入った。森の空気は澄み、ひんやりとした感触が頬をなでて行く。あまりの気持ちよさに彼は森の中を走った。どんなに走っても息苦しくはならない。リスや鹿に遭遇し、お互いに驚きあったり逃げる彼らを追って遊んだりもした。

 そして、いつの間にかアッシュは迷子になっていた。

 鬱蒼と茂る木々。村付近はどちらかと言えば森よりも林に近かったのだが、今はどうだ。

木と木が競り合うように伸び、足下に倒れ朽ちる大木は怪しげにこちらを見つめている。遠くからは狼の遠吠えのようなものまで聞こえ始め、アッシュの恐怖心を刺激した。彼は来た道を戻ろうと振り返った。だが、薄暗い森でどう足跡を見分けられようか。陽が陰ったのか、暗さは増してきてさえいる。

 どうしよう……。 

 その時、背後で小枝が折れる音がした。恐る恐る振り返る……。そこにいたのは大きな熊だった。体は真っ黒で大きく、額に月のような模様がある。熊は両腕を上げると、アッシュめがけて降り下ろした。アッシュは必死の思いで熊の攻撃を避けると、勢い良く走り出した。仁王立ちの熊はアッシュのよりも遙かに大きく、追ってくる足の速さも彼の比ではなかった。

 追いつかれる! 

 次の瞬間、逃げるアッシュの視界が開けた。目の前に現れたのは広場と、夕日に光る金色の建物。

 そう、その建物こそがユティール神殿だった。

 熊はアッシュのすぐ後ろまで来ていた。 

 ダメだ、殺される……。 

 アッシュはきつく目を瞑った。しかし、いくら経っても彼が襲われることはなかった。

 ゆっくりと目を開けると、広場の外で両腕を振り回している熊の姿が目に入った。アッシュは不思議に思いながらも、神殿に向かって走り出した。走りながら森の方を見ると、熊はむなしく唸っていた。神殿の中に入り、窓から外を見る。熊はまだ去りそうにない。アッシュは困った。

 今頃、村じゃ大変なことになっているかも……。

 だが、今のアッシュにはどうすることもできなかった。夜の森が危ないのは、森の案内人達から良く聞いている。

 アッシュはこの神殿で夜を明かすことにした。

 陽は沈み、神殿の中もすっかり暗くなった。アッシュは手探りで絨毯を辿り、祭壇の元へ向かった。祭壇は冷たく、思わずくしゃみが出た。床に座り、膝を抱える。

 暗く静かな神殿。

 何かが出てきそうな雰囲気に、不安感が膨らむ。窓の方に目をやると、どうやら月も出ていないようだ。

 寒くもないのに体に震えが走った。

 緊張しているのか、いつもなら寝ている時間なはずなのに目がギンギンに冴えている。

 アッシュは覚えたての歌を口ずさみ始めた。

 

“高いお山のその先の…”


 歌を歌えば恐怖感が吹き飛ぶような気がした。


“広いお川と野を越えて…”


 そして、東の空が白み始めると共に、アッシュの瞼は重くなっていった。

 目を覚ますと、アッシュは暖かいベッドの上にいた。不安そうに、案内人の一人であるクリフィクスと村長、近所のおばさんが自分の顔をのぞき込んでいる。

「ああ、気が付いた」

 おばさんが安堵の溜息を吐いた。

「全く、何やってたんだ? 心配したんだぞ」

 クリフィクスが頭をグリグリと撫でてきた。

「しかし、あの森で良く無事だった……」

「本当に。おい、アッシュ。お前は古木の穴ん中で寝てたんだぞ! 確かにあそこは安心だが、一歩間違えばどうなっていたことか」

「古木の穴の中……?」

 アッシュには訳が解らなかった。自分は神殿にいたはずである。なのに、古木の穴の中で寝ていたなんて……。

「違うよ! ボクは金色のたてものの中にいたんだよ」

「金色?」

 三人が顔を合わせた。

「うん。クマに追っかけられて、金色のたてものの中に逃げたんだ。すっごく怖かった……」

「熊に!? 」

 おばさんが心配そうな顔でアッシュを抱きしめる。

「狼ではなくて良かった……。しかし……」

 村長がクリフィクスの方を見た。

「森に、金色の建物は……?」

「ありませんよ。見たこともない。アッシュ、夢でも見たんじゃないか?」

「違うよ!」

 アッシュは強く言った。

「本当にボクはそこに逃げたんだ!」


 ――本当に……――


 あの時は、誰も信じてくれなかったよな。神殿を前にアッシュは思った。

 あの後、アッシュは半年間森へ行くことを許されなかった。アッシュにとってこの半年間は苦痛で仕方なかった。許可がだされてからというもの、彼はほぼ毎日のように神殿を探した。だが、どんなに頑張ってもあの神殿へ向かうことができなかった。

 やっぱり夢だったのだろうか……。 

 そう思う時もあった。けれども、アッシュが根気よく探したためか、19歳の誕生日、ようやく神殿を見つけることに成功した。もちろん、このことは誰にも話してはいない。

 どうせ、またそんな建物はないとか言われるんだろう。クリフ辺りに。

 アッシュは溜息を吐き村へと向かった。


 アッシュの住む村、スノンペーン村は神殿より南東の方角にあり、途中に沢を何本か挟んでいた。

 薄暗く茂る深い森。長年、神殿を探すために森を歩き回ったためかアッシュはどの案内人よりも森を熟知し、近道探しに長けていた。その近道を通っていた時、アッシュは木々の間に白い影を見た。

 人……?  でも、こんな道と言う道もない所に人がいるなんてあり得ない……。

 アッシュは首を傾げた。

 ……迷子か?

 彼は白い影を追うことにした。影は、右に左に木々の間を縫うよう進んでいく。その上、迷い人の歩き方に似た進んでは止まり、進んでは止まると言う歩調。不安に思ったアッシュは影に向かって声をかけた。

「すみませーん!」

 影が一瞬ビクリとし、素早く振り返った。

「誰!?」

 影の主は白いローブ風のロングドレスに白いマントを羽織った少女だった。髪も肌も服と同様に白い。

 この格好で森の中を歩くなんて、神経疑っちゃうな。

 アッシュは思った。

「驚かせてしまい、すみません。私は、この森の案内人を勤めているアッシュと言う者です」

 少女が怪訝そうに片方の眉を上げる。

「森の……案内人? 」

 怪しまれている……?

 アッシュは苦笑した。

「はい。あの……歩き方がなんとも心許なさそうだったので、道にでも迷ったのかと……」

 少女がフイっと横を向いた。

「別に迷った訳じゃないわ。目的地に近付いていることは確かだもの」

 そうですかい。

 アッシュは頭を掻いた。どこに向かっているのかは知らないが、このまま彼女が真っ直ぐ歩いていけば確かに街道には出る。だか、この森を熟知していない者の一人歩きは大きなリスクを伴う。現に、それをアッシュは幼き頃体験していた。

「しかし、この森は……」

「あなたは本当に森の案内人? 立証できる証拠が欲しいわ」

 アッシュの言葉を断つように、少女が言った。

「証拠……?」

 アッシュは戸惑った。森の案内人は皆同一のベストを着用することが義務付けされている。が、これは村の中での決まりであって、果たして村以外者を相手に証拠として通るのか、一抹の不安が走る。

「私の住む村の決まりで、案内人はこのベストを着用することが義務付けされています。これが証拠なのですが……」

「ここじゃ確認の取りようがないじゃない。はっきりしないなら結構だわ」

 強い口調。

 やっぱりな……。

 アッシュは心の中で溜息を吐いた。そんなアッシュをよそに、少女が言葉を続ける。

「一つだけ質問良いかしら。ここから近い村はどこ?」

「スノンペーンという村ですね。一番近い村は」

「スノンペーン……」

 少女が呟く。

「スランペーンはどのくらいかかる?」

「スランペーンでしたら、着くのは夜になってしまいます。夜の森がいかに危険かは、私たちが良く知っています。向かうのでしたらやめた方が良いと思いますよ」

「そう」

 その時、遠くで草をかき分ける様な音がした気がした。アッシュは案内人になるために鍛えた遠耳を生かし、耳をすませた。

 少女は音に気付いていないようだ。

 音はゆっくりとアッシュ達に近付いてきているようだった。

 一、二、五……いや、六匹。

 アッシュは少女の華奢な腕を掴んだ。

「何をす……!」

「静かに。狼が近付いて来ています」

 少女が眉間にしわを寄せる。

「手を放して! いないじゃない!」

「大声を出さないで、奴らを刺激します」

「~っ! 嫌よ、放して!」

 アッシュの耳に届く狼の低い唸り声、少女は気付いていないのだろうか。

「来る! 逃げますよ!」

 アッシュは走り出した。

「なっ! やめてって言ってるでしょ!」

 アッシュの腕に激痛が走った。

「っ!?」

 腕から滴り落ちる赤い滴。少女の手には護身用のだろうか小さなナイフが握られていた。

「これ以上近寄らないで、次は喉を切るわよ」

 少女が踵を返し走り出す。その方向は……。

「危ない! そっちは!」

「きゃ!」

 アッシュは走る少女の腕を捕らえると、そのまま自分の背後に引っ張る。次の瞬間、目の前の茂みから狼が飛び出してきた。

「そっそんな!」

 バランスを崩した少女がアッシュの腕を掴んだ。

 一、二、三…やっぱり六匹。

 数匹が鼻をヒクヒクと動かす。アッシュの血の臭いを感じてか、舌なめずりをする狼までいた。

 アッシュはゆっくりと後ずさりを始めた。腕の傷がズキズキと痛む。紅の滴が、ポタタと落ちた。

「危ない!」

 そう叫んだのはアッシュか少女か、狼が一斉に二人に襲いかかった。

「くっ!」

 とっさにアッシュは自分が羽織っていたポンチョを狼に投げつけた。

「今だ!」

 アッシュは痛む腕で少女を引きながら走り出した。

 血が腕に力を込めるたびににじみ出る。このままでは、狼にこの血を追ってきて下さいと言っているようなものだ。

 すでに、何匹かが二人に喰らい付かんばかりに歯を鳴らし追いかけてきている。

 アッシュは焦った。自分だけが逃げるなら逃げきれる自信があった、しかし、今はもう一人、森にふさわしくない白いドレスの少女がいる。

『森で女を狼やら熊やらから守ってやるのが俺の夢さ、勇者みたいで格好良いだろ? そんで、俺はその女どもにモテモテになるわけだ』

 クリフィクスが仕事をしているときの口癖だ。

 簡単に言えるような夢じゃなさそうだぞ、クリフ。

 アッシュはそう思った。

 狼達はアッシュ達の様子を伺っているのか、一定距離を空けて追いかけてきていた。

 この森の狼達はみな頭が良く、スタミナがある。

 疲れさせて、その後しとめる気だな……。   

 アッシュは舌打ちした。ちらっと背後を確認すると少女は何とかついて来ていた。

 右手にはあのナイフがまだ握られている。アッシュは少女にもう一方の腕を伸ばした。

 気付いた少女が顔を上げる。

「ナイフを……! 貸して、下さい……!」

 少女が頷き、アッシュにナイフを手渡した。

 アッシュはナイフを握りしめると、逃げる足を止めた。

 狼達は、突然のアッシュの行動に一瞬驚いたようだった。

 アッシュは狼達を睨み付けた、だが、睨み付けたところでアッシュには何もなすすべがなかった。

「何をする気なの?」

 少女が口を開く。

「……」

 アッシュは答えることが出来なかった。

 足を止めたは良いが自分でもどうすべきか直ぐには思い浮かばなかった。

 狼達は二人を囲み、今すぐにでも襲えそうな体勢を整えている。

 どうする……?

 暫くアッシュと狼達のにらみ合いは続いた。

 アッシュは口の中に広がってきた緊張という名のの唾を飲み込んだ。

「くっ……」

 汗が背中を伝い落ちる。

 腕の血はいくらか止まりかけてきてはいるが、相変わらずの痛みが続いている。

 汗に溶けたその血が流れ落ちた。

 瞬間。

「!?」

 狼達が一斉に襲いかかってきた。

「くっ!」

 アッシュは素早く脇に避けると狼が少女の鼻先すれすれ飛んで行った。

「なっ!」

 次はアッシュの右へ。

 アッシュは一瞬の隙を突いて、狼を切りつけた。

「ギャゥッ!」

 狼の悲痛の叫びが聞こえる。

 その声に彼らが怯んだすきにアッシュは走り出した。

 もう少し走れば沢に出る! そうすれば村は近い! そこまで追って来ないはず!

 アッシュ達は走った。そして、沢が見えた次の瞬間、腕を強く引っ張られた。

 振り返れば、少女が転んでいる。

「ご、ごめん……なさい」

 謝る少女にアッシュは首を振った。

「いや、急ごう」

 再び走り出そうとしたその時、一匹の狼がアッシュの足に食らいついた。

「ちぃ!」

 アッシュは狼の鼻を思いっきり殴った。

「ギャン!」

 だが、狼はその一匹以外にもいた。

 少女のスカートに食らいつき引きちぎらんとするその姿。

 もう、逃げられない……。

 スカートを噛む狼に蹴りを入れると、アッシュは少女を突き飛ばした。

「その……沢を下れば村はすぐ……、早く行くんだ!」

他の狼の気配が近くまできている、アッシュは焦った。

「早く、行って下さい!」

「でも……!」

「僕なら大丈夫です! 良いから!!」

「……っ!」

 走っていく少女を尻目にアッシュは覚悟を決めた。

 狼達はアッシュが弱っているのを敏感に察したのか、白い牙を剥きだした。

 ガチガチと歯を鳴らし、いつでも飛びかかれるぞと言うかのようにこちらを睨み付ける。 

 すぐに襲ってこないのは先ほどのアッシュの攻撃を恐れてか。

 その状況を静かに見ていた。頭の中では何とかしなくちゃいけないと警告を発している。

 あの子は無事に沢へと行けただろうか……。

 そんな考えが頭をよぎった時。

 狼たちが一斉にアッシュへと飛びかかった。

 ベストを食いちぎろうと胸に乗りかかるもの、腕や足を噛み千切らんと喰らい付くもの。

 多勢に無勢。

 アッシュにはもう手が出せなくなっていた。 

 こんなところで俺は死ぬのか……?

 アッシュが諦めかけたとき、ベストの胸ポケットから黄色に輝く琥珀のような赤ん坊の握り拳程の大きさのクリスタルが落ちた。

 彼は急いでそれを拾うと堅く握りしめた。

 このクリスタルはアッシュの父親から譲り受けたもの。両親の大事な形見。

 握ったクリスタルはなぜか暖かかった、じんわりとアッシュは伝わるパワーを感じていた。

 次の瞬間、彼の体が金色の光に包まれた。

 暖かい光、傷付いていた体がたちまちに治っていく。光はさらに広がって行く。

 アッシュは立ち上がるとクリスタルを振りかざした。狼達が光を恐れて飛びず去る。

「去れ!」

 アッシュが一喝すると狼達はしっぽを体の方に丸めて森の奥へと消えて行った。

 クリスタルを見るとすでにそれは光を失い冷たくなっている。

「助かった……」

 ふと、背後で草木をかき分ける音がして、アッシュは振り返った。

 ナイフとクリスタルを翳す。

 が、そこにいたのは少女だった。

 驚いたかのかクリスタルとアッシュを交互に見つめる。

 アッシュはほっとため息をつくと、クリスタルをポケットにしまった。

「怪我はないですか?」

 少女が静かに頷ずく。

「また狼達が来る前に村に行きましょう。もうすぐ陽も下がります」

 アッシュは少女を引き連れて村へと歩み始めた。


 村には夕刻前に到着した。

 慌ただしく夕食の準備をする人々が村の中を行き来する。良い村ねと少女がぽつりと呟いた。

 興味深げに村を眺める少女を後目にアッシュは内心頭を抱えていた。

 もともと来る者が居ないに等しいこの村には宿はない。だいたい宿は案内に付いた森の案内人の家がその代わりになるが、今回の場合、さすがにアッシュは自宅に誘うのを躊躇った。何故なら彼の家は彼1人しかいない。なにもしない自信はあっても、気持ち的問題として気分は良くないだろう。

「宿を用意しなければなりませんね……、 ちょっと探してみましょう」

 悩んだ彼は森の案内人の集会所に向かった。

「こんばんは」

 集会所の中には筋肉隆々とした長身で逞しい体格のクリフィクスと、彼と比べるとひ弱に見えるが普通の人から見ればガタイの良いもう一人の案内人がいた。

 年の頃は共に30の半ばを過ぎた頃だろうか。頼りがいのありそうな男性独特の雰囲気を感じる。

 中に入るアッシュに続いて少女も集会所に入る。クリフィクスがほう~と呟きながら目を細めた。だが、狼に噛み千切られてぼろぼろになった服を纏うアッシュと少女にすぐさま険しい表情に変わる。

「大丈夫か?」

 クリフィクスに問われ、アッシュは頷いた。

「ああ、何とかね。でも見事にやられたよ、この通りぼろぼろさ」

「そうだな。でもま、無事で何よりだ。して何だ、アッシュ、お前隅に置けなくなったなぁ」

 クリフィクスがにやっとしながら顎を少女に向けた。アッシュは少女の方へ顔を向けた。困ったような微笑み。アッシュは慌てて否定した。

「客だよ、客! 案内してここまで来たんだ。見れば分かるだろ? 今、宿探ししてたんだよ……」

「何だ、客か。つーか、宿だったら案内人の勤めだろうが。自分の家に泊めりゃ良いだろ? 部屋はあるんだから」

うっすらと意地悪な微笑みを浮かべるクリフィクスにアッシュは頭を掻いた。

「いや、それは……。気分的に彼女に悪いだろ?」

「なんだよそりゃ。言っておくが、俺んとこは今日は無理だぜ……?」

 言いながらクリフィクスがもう一人の方を見る。

「オレも無理だ……。村長の所はどうだろ」

「いや、今日は会議だとかでやめといた方が良いぜ」

 クリフィクスが静かに首を振る。

「……参ったな」

 アッシュが肩を落としている時、不意に少女が口を開いた。

「気分的にってどういう意味か分からないけど、宿がないならわたくしは野宿でも一向に構わないのですが」 

 アッシュは慌てた。

「野宿!?いや……」

 クリフィクスがニヤリと笑った。

「娘さん、宿ならあるぜ?」

「クリフ!」

「コイツん家で良けりゃだけどな」

 にまにまと笑いながら、クリフィクスがアッシュを指さす。

「男の一人住まいだが、俺たち案内人は旅人の宿を提供するのも勤めだ。それなりの備えと部屋は用意してある。……そうだろ? アッシュ」

「ん~でもさ……」

 アッシュは苦笑した。確かに設備は整っているが…… 彼女は安心できるだろうか。部屋は別でも一夜同じ屋根の下に二人っきりになるのだ。

「……宿はあるのですね」

 確かめるように少女がクリフィクスに問う。

「ああ、こいつんちで良ければな」

 クリフィクスがゆっくりと頷いた。

「わかりました」

「ちょ、ま……待ってくれよクリフ……」

 アッシュは焦った。

「なんだよお前はよ~。いかにも悪さしちゃいそうで不安だとか風な顔しやがって……」

 クリフィクスが情けないなと呟きながらアッシュの肩に手を置いた。

「そんなことは絶対ない!」

「だろ?だったら一泊くらい泊めてやれよ、女の子に野宿は可哀想だろ? 娘さんは大丈夫だっつてんだから」

 なぁ?とクリフィクスが少女の方を向く。少女はよく分からなかったのか苦笑しつつ頷いた。

「決まりだ!さっさと家に帰れ、長旅で疲れてる娘さんを休ませなきゃいけないだろ?」

「……わかったよ。」

 アッシュは頭を掻きながら少女の方を向いた。

「宿…… と言っても私の家ですが……案内しますね」


 アッシュの家は村の外れにあり、森から村に迫り出した林の中にこぢんまりと建っていた。木とレンガ造りの平屋、3LDK。一部屋はアッシュの残り二屋は客用の部屋だ。玄関を開けると、薄暗いリビングの中から声が聞こえた。

「アッシュ、お帰り」

 その声はアッシュが良く知る声だった。隣村の住人で良くこの村を経由して城下の街の学校に通っている。歳はアッシュより2つ上の青年だ。

「ルーザ!」

「やぁ。村に帰る途中なのだが、時間も時間なので、寄らせて貰ったよ」

 近場にあった小さなランタンに火をくべると、リビングの奥に腰掛けている彼が一人浮かび上がった。短髪で後ろ髪の一房だけを伸ばした髪型。青と白の革製の上着を羽織っている。

「別にウチでなくても他にも案内人はいるだろうに……」

「今日は何故かどの場所も断られた。と言うより泊まりなれたここの方が体が休まる」

 ルーザが立ち上がるとアッシュに近づいた。アッシュも背は高い方だがルーザの方が五~七センチメートル程高い。近寄りながら、ルーザがふしぎそうに片眉を上げ、アッシュの後ろにいる少女を指さした。

「お客?」

「あ、ああ……」

 アッシュは苦笑しながら頭を掻いた。

「早く部屋に案内しなよ」

「今するよ」

 アッシュは少女を三つある部屋の真ん中の部屋に案内した。一番右奥はルーザがいつも使用している部屋で、常に予約されているも同然なのだ。部屋には大きなランタンが二置かれてあり、アッシュが素早く火を灯した。窓のそばにゆったりと座れそうなチェアー、入口から右側の壁沿いに机と小さなクローゼット、左側の壁沿いに柔らかい素材でできたベッドがある。クローゼットの中には湯浴みのセットと寝間着がしまわれてあった。

 一息吐いたらリビングに来るように伝え、アッシュはリビングに戻った。相変わらず薄暗いリビング。どうやらルーザは明かりを灯してくれていないらしい。

 いつも来てるんだから、明かりくらい点けてくれたって良いと思うんだけどなぁ……。

 アッシュは思った。

「アッシュ、探したんだが、火付け石がなくて明かりは付けられなかった」

 ルーザの言葉に一瞬心の中を読まれたかとアッシュは驚いた。

 リビングには五つある大きなランタンがある。

 アッシュは胸ポケットから黄色いクリスタルを取り出すと宙に翳して力を込めた。ふわりと風が動いたような波長がクリスタルから広がり、家中のランタンに火が灯った。ログハウス調の佇まい。石造りの暖炉からも煙が上り始めた。ルーザが驚いたように目を瞬かせた。

「お前……それは!?」

「え? 火を点けただけだろ?」

 アッシュは近くにあったランタンを一つ消すと、ルーザの目の前で火打ち石無く点けて見せた。芯の近くに指をやり、軽く人差し指と親指を擦り合わせるとぽっと火が灯る。

「凄いな……。いつから出来るようになった?」

「いつだったか……。気が付いたら出来るようになってた。この石のせいかもしれない」

 コトンと黄色いクリスタルをテーブル置くと、ルーザが不思議そうに手に取った。

「普通の石に見えるがな……」

「分からない……でも、これしか思えない」

「……そうか」

 ルーザからクリスタルを受け取ろうとアッシュは手を差し出した。だが、その手の上に乗せられたのはルーザの手だった。

「アッシュ、この力はあまり人前では使ってはいけない」

 アッシュは静かに頷いた。

「分かっているさ、僕だって変人に思われたくないからね」

 キィと木の鳴く音がして、アッシュは振り返った。着替えたのか白いドレス姿ではなく今は白いローブを着用している。

「ささ、席にどうぞお座り下さい。すぐに夕食にいたします」

 ルーザから今度はちゃんとクリスタルを受け取ると、アッシュはダイニングへと収まった。ダイニングと言っても半分はリビングと繋がっているのだが。

 釜戸に火をくべ、鍋を置く。簡単なコンソメスープにサラダ、魚介の白ワイン煮に焼きたてのパンが今日のメニューだ。

 食材を刻んでいると、少女がひょっこりとダイニングに顔を出した。興味深げな雰囲気。少女が包丁に手を伸ばそうとし、アッシュはそれを制止した。

「お客様、料理は私がしますので……」

「ネルよ」

 アッシュの声を遮るように少女が口を開いた。

「私の名前はネル。そこの彼に聞いたの、森の案内人は賃金を殆ど受け取らないんですって?一食一泊の恩義よ、手伝うわ」

 腕まくりする少女にアッシュは少し慌てた。

「いや……お客様に……」

「ネルって言ったでしょ? こう見えても家事は出来るのよ? スープを作るのね、任せて」 

 少女……ネルが包丁を手に食材を刻みだした。慣れた手つきにアッシュはほっとした。

「あ……ありがとうございます」

 ネルが静かに首を振った。

「いいのよこれくらい。今日あなたが私にしてくれたことに比べたら小さいわ。あの時は本当にごめんなさいね」

 言われてアッシュは森での出来事を思い出して妙に恥ずかしくなった。吹っ切ろうとして食材に手を伸ばし、切り始める。刻んでいると、視線を感じてアッシュはネルの方を見た。

「どうかいたしましたか?」

「失礼だけど、上手いわねって思って」

「いや、それ程……」

「こいつ、こんな小さい頃からこの仕事を一人でやってるから。十一からだったか?」

 不意に真正面から声が聞こえた。いつの間にかルーザがダイニングとリビングをつなぐカウンターまでやってきている。

 鳩尾辺りに手を当て、こんな背の頃だと手を振りながらネルに話す。

「一人で?ご両親は?」

 ネルが不思議そうに首を傾げた。アッシュは思わず苦笑した。察したのかネルがそっとアッシュの右腕に手を添える。

「ごめんなさい」

「いや、大丈夫です。元々母はいなかったので小さい頃から家事はしていたんですよ」

「そうだったの。……さっきの話しぶりだと、お二人は長い仲なの?」

「ああ。元俺はここの出で、五つの時からアッシュのダチだ。今はスノンペーンにいるが」

 ルーザが語りながらつまみ食いしようと手を伸ばす。アッシュは見逃さずその手をぺしっと叩いた。

「良いだろ?少しくらい」

「皆平等だ」

 様子にクスクスとネルが笑い出した。その晩は穏やかな雰囲気のまま過ぎようとしていた。

 だが……。

 突然、窓ガラスが割れる音と共にリビングの明かりが消えた。

 釜戸の火だけがほんのりと辺りを照らす。

 ネルの顔が恐怖に満ちたような表情に変わるのをアッシュは見逃さなかった。

 台所から一番大きく長めな包丁を取り出すとアッシュはルーザにそれを渡した。

 何も伝えなかったが、察したルーザがそれを構える。

 アッシュは胸ポケットの中のクリスタルを握りしめた。

 ほわりと明かりがアッシュの体から放たれる。リビングの中にいたのは黒い服の男が二人。顔を隠し、怪しげな雰囲気。手には短剣を握りしめている。

「ここにいたのか、捜したぜぇ?」

「っく、お前達は……逃げきったと思ったのに……」

 ネルが下唇を噛みしめる。

「何者だ!」

 包丁を傾けながらルーザが叫ぶ。

「関係のない兄さんらに語る必要ないねぇ」

「我々はその者を追って来たのだ」

 アッシュはネルの方を見た。青白い顔をして、アッシュのベストの裾を握りしめている。

「森で俺達を撒いたとでも思ったか、後から狼が来ただろう? アレは俺たちの兄弟でね。斬りつけられた兄弟は死んだよ。その恨みもある……死んで貰うぜ?」

 アッシュははっとした。

 少女が森で声をかけたときすぐに切りつけて来たのはこれだったのだ。

「さて、兄さん達には退いてもらおうか」

「……訳も知らずに『はいそうですか』とは言えないな」

 ルーザが包丁を揺らめかせた。

「ならば力ずくでも良いんだぜ?」

 すっと一人の男が動き、短刀を抜いた。

 ルーザが包丁を翻し、柄の部分で男の短刀を受け止める。

 もう一人の男がこちらに来るのを見たアッシュは、お玉を掴むと煮えくり返る鍋のお湯を男に向かってまいた。

「うわぁっちぃーっ!!」

 お湯を被った男が後退する。

 釜戸を上ってカウンターからアッシュはリビングに降り立った。

 すぐさま胸ポケットのクリスタルを握りしめる。

 目映い光が放たれ、男達が吹き飛ばされた。

 壁に強かに打ち付けられ、うめき声を上げる二人。

 と、同時にアッシュも床へ身を崩した。

「アッシュ!」

 ルーザがアッシュの元へ駆け寄る。

 アッシュは体中の力をクリスタルに奪われたような感覚に襲われていた。

 足に力が入らず、身を起こすだけでやっとだ。

 いつの間に来たのかネルがアッシュの体を支える。

「アッシュ、ソレはもう使うな!」

 ルーザの声が頭の上から聞こえた。

 アッシュは男達の方を見た。

 二人が呻きながらゆっくりと立ち上がる。

 軽く舌打ちして、ルーザが駆けた。

 アッシュは霞み始めた目でルーザと男達が対峙しているのを見た。

 両肩に触れる暖かい感触に振り返れば、ネルが自分の肩に手をおいて強張ったような表情でルーザの方を見ている。

 男達は先ほどアッシュのの攻撃が効いたのか、ルーザ相手に苦戦しているようだった。

 やがてお湯を被った男が膝をつき、もう一人の男をルーザが組敷いた。

「二度と来るな!」

 ルーザがそう言い放ち、男を解放すると、怯えたように二人は逃げて行った。

 静まり返ったリビング。割れた窓ガラスや食器、壁に飾られた絵などが散乱し悲惨な状況。

 ルーザが何かを呟きつつこちらに歩いてくるのを見ながらアッシュの意識は遠く暗い闇の中へ落ちていった。


 アッシュが気が付いたときには、すでに陽は空に昇り、切った頃だった。自分のベッドから天井を眺め、一息吐く。ふと、昨日の出来事が夢のように感じられた。

 ああ……散々な夢だった。

 そんなことを思いながら洗面所へ向かう……そこにはルーザがいた。

 剃刀で髭を剃っている。

 気付いたルーザが振り返った。

「おはよう。体は大丈夫なのか? 昨日あの後、お前気を失ったんだぞ」

 その台詞でアッシュは夢ではなかったと理解した。

 額に片手を当てながら首を振る。

「まだ眠い感じがするど、問題はないかな」

「……そうか。もう使うなよアレは」

「ああ」

 ふと、こちらへ近づく足音が聞こえ、アッシュは振り返った。

「ルーザさん、朝ご飯……あっ、アッシュ!」

 声の主はネルだった。

「アッシュ、もう起きて大丈夫なの?」

「あ、はい……。ご心配おかけしました」

「そう、良かった。朝ご飯、出来ているから。お台所勝手に借りちゃってごめんなさいね」

「いえ、ありがとうございます」

 ネルがパタパタと急ぎ足で戻っていく。アッシュはそれを見届けた後、ルーザと共に見繕いし、ダイニングへ向かった。

 ダイニングテーブルの上にはパンとベーコンエッグ、サラダとフルーツが用意されていた。

 気付いたのかネルがスープと暖かいミルクをそれぞれの前に並べる。

 料理はどれもおいしかった。

「アッシュ」

 不意にネルに声をかけられ、アッシュは食事の手を止めた。

「何でしょうか?」

「あのクリスタルを見せて欲しいのだけど……良いかしら?」

 アッシュは胸ポケットからクリスタルを取り出すとネルにそれを渡した。ネルが不思議そうにクリスタルを眺める。

「特に……魅入られているわけでもないし。問題ないのかしら……」

「その石に何かあるのか?」

 ルーザが問いかける。

「私は近年起きている……クリスタルに魅入られておかしくなった人達を調べているの。そのクリスタルを持った人達は人ならぬ力を得る事が出来る反面、精神を犯され危険な対象となるの」

「つまり、その石もその石じゃないかと言うことか?」

「ええ、そうじゃないかと思ったのよ……でも、この石は逆に彼の力を元に動いているわ。もしかしたら違うのかもしれない……」

 ネルからクリスタルを返されアッシュは胸ポケットにしまった。

「そのクリスタルはご両親の形見とか……?」

 ネルの問いかけにアッシュは頷いた。

「はい」

「入手場所は……?」

「母が元々持っていたものと……」

 ネルが肩を落とした。

「そう……」

 そういえば……とルーザがミルクを呷りながら話始めた。

「ネルさんは、どうしてこの村に? 差し支えなければ」

「隣町……スランペーンでクリスタルによる異常者が出ていると聞いたの。それで来たのよ」

「俺の村だな……調査で?」

「ええ」

「そうだ。ちょうど良いから、ルーザと一緒に村へ向かうと良いですよ。彼は向こう村の村長の息子で顔が利きます」

 ルーザが眉をしかめた。

「おいアッシュ、自分の仕事を怠ける気か?」

「何言ってるんだよ。ちゃんとするって」

 アッシュは慌てた。

「案内、よろしくお願いしますね」

「ネルさんまで……酷いですよ」

 もう~とアッシュはうなりながら頭を掻いた。

 食事を終え、自室で茶色の皮のズボンにライトベージュの上着、深緑のベストに着替えたアッシュは鏡を覗き込んだ。

『お前は母さんに似ているな』

 不意に父親から言われた台詞が頭にフワリと浮かび、彼は会った記憶のない母を想像した。

 だが、何も思い浮かぶこともなく、アッシュはため息をついた。

「確かに女みたいな顔ではあるけど……」

 パシンと、両頬を張るとアッシュは短剣を腰ベルトに挿し、マントのようなポンチョを羽織った。

 ナップザックを手にリビングに出ると準備が整った二人がすでに待っていた。

「さあて、行きますかね」

 ルーザが頭の後ろで腕を組む。

「ああ、スランペーンへ」